Mar 28, 2015

ダンスから現代美術へ : Tino Sehgal最後の劇場作品

 ティノ・セーガル(Tino Sehgal)は「モノ」としての作品を残さず、芸術における物質性の否定を徹底したアーティストとして有名である。彼の作品はパフォーマンスとして位置づけられているが、セーガルからその空間の中でどのように行為をするのか指示を与えられた美術館やギャラリーの関係者、ダンサー、あるいは一般人(セーガルはこうした行為をする者を「通訳者(interpreter)」と呼ぶ)は、美術館やギャラリーにおいて簡単なダンスや動作をすることもあれば、鑑賞者に向かって警句的な言葉を投げかけるといったことを行う。したがって、それはパフォーマンス作品ではあるのが、ある特殊な状況を作り出すという意味でパフォーマンスであって、必ずしもパフォーマンス行為の内容そのものが作品とは限らない。今でこそインターネットなどによってパフォーマンスの様子を写真で簡単に見ることが出来るが、無形で一時的なその様子を彼自身が記録してアーカイブとして形を変えて提出することは決してないし、基本的にはその場で行われた一過性の状況のみが作品として提示されるというのが彼の物質性否定の所以である。鑑賞者の記憶にだけ残るものとしてのみ作品は考えられており、コレクターへ作品を販売する際にも一切の物理的な契約書や領収書は存在せず、その作品・パフォーマンスの内容、さらに契約内容までも口頭で伝えられるという。

Mar 21, 2015

美術史の「歴史」を書くことについて

 第18回文化庁メディア芸術祭で行われたシンポジウム「想像力の共有地<コモンズ>」、第一部の《美術・歴史・日本―自作を語るための歴史とは》(2015年2月15日開催)は、美術家の中ザワヒデキ氏と社会学者の大澤真幸氏が登壇し、中ザワ氏の近著『現代美術史日本篇 1945-2014』(アートダイバー、2014年)をひとつの切り口に、モデレーターの室井氏と共に、グローバルな状況下における日本の現代美術、メディア芸術について、あるいは現在においてどのように美術や歴史を設定し、記述していくのかということなど幅広い話が展開された。



Mar 14, 2015

30年目のGuerrilla Girls

 ゲリラ・ガールズ(Guerrilla Girls)は 1985年にニューヨークで結成された匿名のフェミニストたちによる芸術家グループである。彼女たちは、毛で覆われたゴリラのマスクをかぶって、美術史に 残る「女性」芸術家の名前を用いながら、路上や美術館のトイレ、ビルボードなどにポスターを貼り、美術界、あるいは映画界といった文化に携わる分野におけ る性差別および人種差別の現状を皮肉とユーモアを用いて暴き出し、フェミニストの強い主張を提示する活動で有名である。  ゴリラのマスクの使用は、ミススペル「ゲリラ(Guerrilla)」→「ゴリラ(Gorilla)」から始まったものだが、彼女たちの匿名性を 守るとともに不気味で不相応な見た目と、鮮やか黄色とゴシック体を使ったポップなデザインは、初期フェミニズムの活動の中でもひときわ印象が強いものだっ た。アングル(Dominique Ingres)の『横たわるオダリスク(La Grande Odalisque)』(1814年)をパロディ化した“Do women have to be naked to get into the Met.Museum?...”(「女性はヌードにならなければメトロポリタン美術館に入れないのか?—近代美術の展示作品のうち女性アーティストの作品 は5パーセントだが、ヌード作品の85パーセントは女性」)(1989年)は、現代美術におけるフェミニズムの一つの金字塔であった。

Mar 6, 2015

不自由なのは誰か: Jerome Bel《Disabled Theater》

 ロンドンでジェローム・ベル(Jérome Bel)の《Disabled Theater》(初演2012年)を観る機会があった。演劇や劇場の構造と限界を示唆しながらも、それを超え出してしまう身体のエネルギーのようなものが感じられ、さらにそれを感じる際の私たちの高揚感と気まずさが瞬時に交差する、次から次へと気持ちが移り変わっていくような素晴らしい舞台であったと思う。観る前は、「障害者の演劇」という社会的な枠組付けが私の中で一人歩きしていたけれど、実際のパフォーマンスは、それに直面した時の複雑な諸問題をきわめて豊かに体験させてくれる入り組んだ作品であり、その複雑さがまさに演劇の「不能性/できないということ(disable)」を露呈しているように思われた。
 ジェローム・ベルはダンサーとして活動した後に振付家に転向し、バレエやモダンダンスのような身体的に高度な技術を要するもの、あるいは舞台美術におけるスペクタクルな要素を排して、劇場の構造やダンサー、観客といった様々な関係性を問い直すような作品を発表してきている。本作は発達障がいや精神障がいを持った者がプロフェッショナルに役者活動をする劇団Theater Hora(スイス拠点)とのコラボレーションのために作られた作品である。パフォーマンス作品が多かった前回のドクメンタ13(2012年)の中でも特に話題になっていたもので、2012年に発表して以来世界各地で再演されている。私が見たのはアートフェアFrieze Londonの公式プログラムとして再演されたものである。