Aug 1, 2015

The world is round/世界はまるい 1



The world is round. Almost. With some cracks here and there.
世界はまるい。ほとんど。あちこちに裂け目があるけれど。

  ウィーンから電車で2時間半、ザルツブルグで行われていたパフォーミング・アート・フェスティバル『Sommerszene』を観に行ってきた。上記の言葉は、プログラムのひとつであった展覧会《Toward the other side of the world(世界の向こう側へ)》のプレスリリースの最後に書かれていた一節である。展覧会については後に改めて書くが、ここではこの展覧会と同時開催されていた松根充和の新作パフォーマンス《Dance, if you want to enter my country!(入国したければ、踊りなさい!)》について見てみたい。


Jun 5, 2015

旅行記:強制収容所とパルチザンのこと

 ウィーン美術アカデミーのポスト・コンセプチュアル・プラクティスというクラスの3日間の旅行に同行をしてきた。美術大学の旅行だからといって美術館やギャラリーを訪れて芸術を学ぶのではなく、今回は第二次世界大戦終戦から70年という節目に合わせて、オーストリア国内、特にスロベニア国境付近にあたる強制収容所とパルチザンの拠点をめぐるという非常に重いものであった。この国境付近は豊かな山々に囲まれた場所であり、その自然の美しさに感嘆する一方で、それとは対照的な悲惨な歴史的事実をどう受け止めていけばよいのか、その答えはいまでも私の中で保留になっている。

May 10, 2015

世界をまとうこと:新聞女《Peace Road》in Paris

  長い冬を終えたヨーロッパの春は特別に明るい。パリ第8大学で新聞女のパフォーマンス《Peace Road / 平和の道2015》が行われた4月の中旬は春を通り越して初夏のような陽気であった。この大学で『Création littéraire(現代的文学創作)』の授業を担当している大久保美紀さんから連絡があったのは2月のまだまだ寒い時期であったが、3月末にスケ ジュールの合間をぬってパリに滞在することができることがわかり、急遽駆けつけることを決めたのだった。

  「新聞女」こと西澤みゆきは、具体美術協会(以降、「具体」と表記する)設立メンバーのひとりであった嶋本昭三の弟子であり、彼との出会いによって芸術活動を始めている。「新聞女」という名前が示しているように、彼女のパフォーマンスは「新聞」を使って行われる。新聞はつなぎ合わされドレスやジャケットとなり、そこには花形に切り取られた新聞や新聞で作られたレースが付けられ、時には傘やカバン、ハイヒールなどにも新聞が切り貼りされる。新聞でできたそれらのコスチュームを身にまとうことで、新聞女は大量の新聞の渦の中に多くの観客を巻き込んでいくのである。「具体」が世界的に評価・研究されていくなか で、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で亡き師匠へのオマージュとして大きなドレスの裾で観客を包み込んだパフォーマンス(2013年)をした様子を写 真で見たことは記憶に新しい。

Photo: Christine Butler © Solomon R. Guggenheim Foundation, New York

Apr 25, 2015

本質的なものか、ナイーブさか:poets and artists


 ゼセッション(Secession : ウィーン分離派会館)で開催されていた展覧会『poets and artists』は、アーティストのウーゴ・ロンディノーネ(Ugo Ronidnone)がキュレーターとして組織したものであり、彼にとっては、『the third mind』(Palais de Tokyo、パリ、2007年)、『the spirit level』(Gladstone Gallery、ニューヨーク、2011年)に続く3回目の展覧会である。タイトルに「詩人」という言葉を採用しているが、必ずしも詩人や詩に特化した展覧会ではなく、ロンディノーネによって地理的・時間的な制限なしに選ばれた参加作家15人の中ではジョン・ギオーノ(John Giorno)のみが詩人として参加をしているにすぎなかった。ギオーノの《Dial-A-Poem》(1969年)は、ある特定の番号に電話をすると自 動応答装置に繋がり、そこに録音されてあった詩を聞くことができるというものである。会場の一部屋には黒電話が数台置かれており、受話器を取ってダイヤル を回すと、ギオーノがVienna Poetry Schoolと特別にコラボレーションした30編の詩を聞くことができる。ちなみに、会場の外壁に掛けられたビルボードには電話番号[+43 (0)1 58 50 433]が書かれており、そこに電話をすると同様に詩を聞くことができるようになっていた。電話を通してのみ聞こえてくる詩は完全な「音」だけであり、相互のコミュニケーションツールとしての電話ではなく、一方方向的に鑑賞者に送り届けられる音声である。自動的に流れてくるので、文字として書かれたものよりも発せられた言葉に瞬時に対応する必要があり、その内容よりも音声やリズム、トーンの方に観客の注意が向かうことになる。
façade Secession, 2015, Photo: Jorit Aust

Mar 28, 2015

ダンスから現代美術へ : Tino Sehgal最後の劇場作品

 ティノ・セーガル(Tino Sehgal)は「モノ」としての作品を残さず、芸術における物質性の否定を徹底したアーティストとして有名である。彼の作品はパフォーマンスとして位置づけられているが、セーガルからその空間の中でどのように行為をするのか指示を与えられた美術館やギャラリーの関係者、ダンサー、あるいは一般人(セーガルはこうした行為をする者を「通訳者(interpreter)」と呼ぶ)は、美術館やギャラリーにおいて簡単なダンスや動作をすることもあれば、鑑賞者に向かって警句的な言葉を投げかけるといったことを行う。したがって、それはパフォーマンス作品ではあるのが、ある特殊な状況を作り出すという意味でパフォーマンスであって、必ずしもパフォーマンス行為の内容そのものが作品とは限らない。今でこそインターネットなどによってパフォーマンスの様子を写真で簡単に見ることが出来るが、無形で一時的なその様子を彼自身が記録してアーカイブとして形を変えて提出することは決してないし、基本的にはその場で行われた一過性の状況のみが作品として提示されるというのが彼の物質性否定の所以である。鑑賞者の記憶にだけ残るものとしてのみ作品は考えられており、コレクターへ作品を販売する際にも一切の物理的な契約書や領収書は存在せず、その作品・パフォーマンスの内容、さらに契約内容までも口頭で伝えられるという。

Mar 21, 2015

美術史の「歴史」を書くことについて

 第18回文化庁メディア芸術祭で行われたシンポジウム「想像力の共有地<コモンズ>」、第一部の《美術・歴史・日本―自作を語るための歴史とは》(2015年2月15日開催)は、美術家の中ザワヒデキ氏と社会学者の大澤真幸氏が登壇し、中ザワ氏の近著『現代美術史日本篇 1945-2014』(アートダイバー、2014年)をひとつの切り口に、モデレーターの室井氏と共に、グローバルな状況下における日本の現代美術、メディア芸術について、あるいは現在においてどのように美術や歴史を設定し、記述していくのかということなど幅広い話が展開された。



Mar 14, 2015

30年目のGuerrilla Girls

 ゲリラ・ガールズ(Guerrilla Girls)は 1985年にニューヨークで結成された匿名のフェミニストたちによる芸術家グループである。彼女たちは、毛で覆われたゴリラのマスクをかぶって、美術史に 残る「女性」芸術家の名前を用いながら、路上や美術館のトイレ、ビルボードなどにポスターを貼り、美術界、あるいは映画界といった文化に携わる分野におけ る性差別および人種差別の現状を皮肉とユーモアを用いて暴き出し、フェミニストの強い主張を提示する活動で有名である。  ゴリラのマスクの使用は、ミススペル「ゲリラ(Guerrilla)」→「ゴリラ(Gorilla)」から始まったものだが、彼女たちの匿名性を 守るとともに不気味で不相応な見た目と、鮮やか黄色とゴシック体を使ったポップなデザインは、初期フェミニズムの活動の中でもひときわ印象が強いものだっ た。アングル(Dominique Ingres)の『横たわるオダリスク(La Grande Odalisque)』(1814年)をパロディ化した“Do women have to be naked to get into the Met.Museum?...”(「女性はヌードにならなければメトロポリタン美術館に入れないのか?—近代美術の展示作品のうち女性アーティストの作品 は5パーセントだが、ヌード作品の85パーセントは女性」)(1989年)は、現代美術におけるフェミニズムの一つの金字塔であった。

Mar 6, 2015

不自由なのは誰か: Jerome Bel《Disabled Theater》

 ロンドンでジェローム・ベル(Jérome Bel)の《Disabled Theater》(初演2012年)を観る機会があった。演劇や劇場の構造と限界を示唆しながらも、それを超え出してしまう身体のエネルギーのようなものが感じられ、さらにそれを感じる際の私たちの高揚感と気まずさが瞬時に交差する、次から次へと気持ちが移り変わっていくような素晴らしい舞台であったと思う。観る前は、「障害者の演劇」という社会的な枠組付けが私の中で一人歩きしていたけれど、実際のパフォーマンスは、それに直面した時の複雑な諸問題をきわめて豊かに体験させてくれる入り組んだ作品であり、その複雑さがまさに演劇の「不能性/できないということ(disable)」を露呈しているように思われた。
 ジェローム・ベルはダンサーとして活動した後に振付家に転向し、バレエやモダンダンスのような身体的に高度な技術を要するもの、あるいは舞台美術におけるスペクタクルな要素を排して、劇場の構造やダンサー、観客といった様々な関係性を問い直すような作品を発表してきている。本作は発達障がいや精神障がいを持った者がプロフェッショナルに役者活動をする劇団Theater Hora(スイス拠点)とのコラボレーションのために作られた作品である。パフォーマンス作品が多かった前回のドクメンタ13(2012年)の中でも特に話題になっていたもので、2012年に発表して以来世界各地で再演されている。私が見たのはアートフェアFrieze Londonの公式プログラムとして再演されたものである。